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物を通して自己分析するブログ

札幌在住の私が体験した停電1.5日間

地震から5日目に入って、ようやく状況が落ち着いてきたところで自分の状況を振り返ってみます。早い人だと翌日から書いてる人もいるけど、私も忘れないうちに書きました。

 

目次 

 

地震直前→停電までざっくり説明

2時半くらい 腹痛で起きるけど、なかなか出ずタイミング待つ

3時 これからウ〇コ!苦しい!

8分 地震!!!!

地震直後 額縁のガラス割れてたの片付けつつ、防災セット玄関に出す、車を車庫から出す

地震速報をテレビ見てるときに停電

 

ラジオがつかない

停電直後、テレビが見れなくなってラジオをつけようとしましたが、電池入れてもすべてつかない(でもアダプターだとつく)という非常に困った事態にいきなり直面しました。

余震もまだ続いてたので、車にあるだけの防災グッズと水と寝袋つめて、両親、犬と猫も一緒にいったん避難してました。車の中から外を見てると、信号は止まってるのに意外と車が走ってるのが印象的でした。

この時はまだスマホの電波も通じてて、いとこや彼氏に安否確認することができてました。

 

6時くらいになると夜が明けてきたので、明るいうちに食料や薬、財布や保険証、衛生品、着替えやペットのエサとシートをまとめてました。

このとき役に立ったのは、twitterでした。皆さんが「防災用品リスト」など情報をシェアしてくれたので紙に書き写して家族にも用意をさせました。

 

ラジオを買い求めに4時間待つ 

ラジオがないのでスマホradikoを聴くか、車でテレビを見て情報確認するしかなかったので、近くのホーマックへラジオを買い求めに自転車で行ってきました。

私が店についたのは9時で、通常開店の1時間前でしたがどうやら7時には開店してたらしく、すでに大行列ができてました。

なかなか進まないことにイライラすることはなかったのですが、意外につらかったのは日差し対策と水分補給を用意してこなかったことが失敗でした。家族連れの方は、交代で車や自宅に戻って休憩してる人もいましたが、そうでない人はひたすら耐えるか、途中で帰るしかありませんでした。

しかもラジオはとっくに売り切れていたし、家に戻ったら亡くなったばあちゃんが使ってたラジオが出てきたと聞いたときは、本当にさっさと帰ればよかったと思いました。

 

電気以外でなんとか過ごせた

不幸中の幸いで、私の地域は停電だけで済んだため水もガスも無事に使えました。それから偶然にも母の車が前日にガソリン満タンにしていたり、除草機のガソリンが残っていたりと、給油で困る事態は免れていました。

また比較的食料も貯えがあったので、生ものや冷凍食品など痛みの早いものを中心に食べるだけで2日くらいは充分生活できました。

ちなみにうちは焼き肉やBBQできるほど肉はなかったのでやっていません。

 

暇のつぶし方

停電で仕事も休み。電気もつかない、電波もつながらない、スマホの充電も減らせないのでやることがなくて暇でした。

なので日中はずっと本を読んで過ごしていました。最近買った「東大読書」と、似た内容の「読んだら忘れない読書術」をひたすらふせんを貼って類似点や相違点と内容まとめや気付きを書き綴ったりしてました。

 

「読む力」と「地頭力」がいっきに身につく 東大読書

「読む力」と「地頭力」がいっきに身につく 東大読書

 

 

読んだら忘れない読書術

読んだら忘れない読書術

 

 

夜は家族全員集まって寝る

やはり余震が怖いので1日目は全員集まって就寝しました。子供が小さい家庭ならやっぱりキャンプ気分だったのかな~なんて思います。

でも余震は何度か来たのでやっぱり何度も目が覚めて不安でした。

 

電気が戻りつつある

翌日になって、一部で電気が復旧してきてることをラジオとスマホで確認。

私が住んでた地域でも、公共施設に近い辺りは復旧していましたが、結局ついたのは21時くらいでした。ついたときは母と二人でわぁー!と歓声を上げました。

本当に電気があるってすごい安心。

 

電気が戻っても、まだ不安

停電は2日目の夜に復旧しました。月並みな感想ですが、電気がないと何もできないわけじゃない。でも改めて日々の便利で快適な生活は電気に支えられていると痛感しました。

また、余震は徐々に収まってきてますが今でも夜になると地震のことを思い出して眠れないときがあります。地震は思っていた以上にストレスを残していきました。

ですがこれを機に今まで薄かった防災意識ができたおかげで、不便を乗り越えるモノ選びや生活のあり方を見つめなおすいいきっかけになりました。